一度大学・大学院を修了した後に、研究職以外に就職した技術者は論文を書かなくなる事がほとんどだと思います。
僕は、一度インターネットのウェブサービスに関する企業で技術者をした後に、大学院に入りなおして同様の分野で論文を書き、現在再度技術者をやっているわけですが、技術者でも論文を書くメリットが ある と思っています。
以降でメリットについて述べますが、これらのメリットをまとめて手軽に享受できるツールって他にあんまりないんじゃないか(僕が思いつかないだけかも)と思ったので、この記事を書くに至りました。
というわけで、それを簡単にまとめます。
技術者が論文を書くメリット
まずはざっと箇条書きします。
- 自分の考えた技術や既存の技術の調査、比較の試行錯誤を丁度良い分量でまとめられる
- 良い文章構成になるような書き方の知見が溜まってるので書きやすい
- 書き方の知見にのっとって文章にまとめることで、頭の中や提案技術そのものが整理される
- 曖昧になっている領域を調べる事で正確な知識を得られ周辺技術にも詳しくなる
- その道の専門家による一般化した視点からの評価をもらえる
- 数年たって色々忘れてもその論文を見れば大体思い出せる
- 研究会レベルだと金銭面であまり苦労せず結構簡単に発表までできる
- あわよくばその実績を元に修士号や博士号を狙える
以下、それぞれについて簡単に補足します。
1. 自分の考えた技術や既存の技術の調査、比較の試行錯誤を丁度良い分量でまとめられる
例えば、スライドでの発表やブログでは少し分量が少なくなったり、本や雑誌で書くには執筆依頼が必要だったり分量が多かったり色々敷居が少し高くなりがちです。そういう内容でも論文は自分のペースとタイミングで、一つのまとまった文章として自分の考えた新しい技術を丁寧にまとめた文章として書くには丁度よかったりします。この論文のA4の8枚分ぐらいの分量は、あるテーマについてまとめるには丁度良い分量で書き方の構成についても参考にできる論文資料も沢山あるので、わりと書きやすいと思います。
また、投稿先は、例えば情報系でインターネット基盤技術や運用技術に関わる技術者にオススメの研究会としては、情報処理学会のIOT研究会があります。このIOT研究会のホームページでは、定期的に研究会についての情報が紹介されるので、その情報を見て面白そうな発表のある研究会に参加して研究発表を聴講したり、あわよくば自分も論文を書いて発表してみるとよいでしょう。
その他、別の分野の場合は情報処理学会のホームページ内の研究会を幾つか眺め、自分にあった研究会のホームページのイベント情報を見ると良いでしょう。
後は、その研究会でどういう論文や予稿が書かれ発表されているのかは、IPSJの情報広場を眺めたりしていると知る事ができ、タイトルを見ているだけでもワクワクするようなネタが沢山あります。例えば、IOTの最近の発表は以下です。
なんかどこかで使えるんじゃないのー?みたいなのが見受けられますね。
2. 良い文章構成になるような書き方の知見が溜まってるので書きやすい
いざ書いてみようかなと思った時に、論文をどう書いたらいいのか途方にくれる場合が多いと思うのですが、基本的には(日本の情報系だと)電子情報通信学会や情報処理学会のページに論文のテンプレートが用意されているので、そこの説明に従って書けばよいです。
また、具体的な論文の書き方については、幾つか資料が存在しており、特にオススメは以下の資料です。
ここにある書き方講座の資料を読む事で、論文を書く側で注意すること、逆に、査読者が注目している点はどこかといった事を知る事ができ、論文を書くには非常に有用な資料になっています。
また、もう少し論文を書く具体例を知りたいという方向けには、以前serverspecの作者であるmizzyさんの論文執筆を手伝った際のissueでのやりとりが、論文を書く上での考え方といった視点でも参考になるでしょう。分野が同じような技術者にとってはこのリポジトリのやり取りをみると非常に論文執筆に至る流れをイメージしやすいかと思います。
もちろん、mizzyさんの時と同様、面白いネタであれば論文執筆のお手伝いも喜んでやります。それによって、自分の知識やスキルも高くなって大変便利だからです。
3. 書き方の知見にのっとって文章にまとめることで、頭の中や提案技術そのものが整理される
これについては割と個人的な見解なのですが、上記の論文の書き方を守りながら文章を書く事で、自分が考えた技術や開発したソフトウェアについて、そもそも前提条件はなんなのか、どういう背景から作ったのか、既存の技術では何が難しかったのか、そこから作った自分の技術はどこに新規性があって有効性があるのか、自分の考えた技術の貢献とはいったいなんなのか...などといった、割りと質問されると面倒なポイントをきちんと書くように構成されています。そういう意味で自分の考えた技術について曖昧になっている所や、整理しきれていない部分が明確になり、それをクリアしながら文章にまとめる事で高いレベルで頭の中や自分の持つ知識を整理する事ができます。
その結果、この質問受けると辛いな〜と思っているような部分が明確になり、人との議論もしやすくなったりして、今後それらに関わる技術を対外発表していく上でもモヤっとした部分がなくなって気持ちよく説明できるようになるでしょう。
4. 曖昧になっている領域を調べる事で正確な知識を得得られ周辺技術にも詳しくなる
上述した、技術が整理される効果と相まって、当然論文の中で既存の技術を調査した結果や、既存の技術ではどこに問題があったかなどを議論する必要があるわけですが、その中では芋づる式に関連技術や論文をおわないといけない状況があって、そこを調べたりしているうちに、自分の技術やその関連技術、あるいは、さらに離れた技術についても詳しくなります。その結果、高度な知識を持った人との議論においても、自分の専門分野であれば割りとスラスラと面白い議論ができるようになります。
そうすることで、さらに面白いアイデアや実装案が生じ、自分のスキルアップにもつながっていくと思います。論文を書こうとすると、自動的に周辺技術の勉強にもなって便利です。
5. その道の専門家による一般化した視点からの評価をもらえる
作った論文を研究会で発表し論文を読んでもらう事で、その道の専門家、特に、一般化した視点からのフィードバックを頂けてそれが自分のスキルアップにも繋がります。技術や実装一辺倒でやっていると、企業に依存したものになったりしがちですが、一般化した視点からのフィードバックによりそういう考え方から抜け出す機会にもなり、汎用的なアーキテクチャを考えるスキルがつくようになります。また、過去の経緯や歴史的背景に基づく科学技術について詳しい研究者の方々から、経験に学ぶのではなく歴史に学ぶ事の意味や大切さ、さらには、提案技術が筋の良いものなのかといった評価を頂ける場合があって非常に勉強になります。
自分の頭の中や特定の小さなコミュニティの中だけで前提になっている事が、少し離れた人からは全くそうでないという事にも気づく事ができて、思考の幅が広がります。
ブログではどうしてもリーチしにくい領域、特に、専門分野をきちんと体型的に勉強している学術の天才達にフィードバックを頂ける事は非常に価値あることだと思っています。
6. 数年たって色々忘れてもその論文を見れば大体思い出せる
さらに、僕の場合は1年もすれば自分の書いたコードや文章なんて忘れがちなのですが、それが論文という形で綺麗な構成、かつ、周辺技術も含めた正確な内容で残っていると、忘れた頃にそれを読み直すだけで、大体の事が理解できて知識や技術の定着にもなっている気がします。
そういう意味でも論文って後から読むとすごい便利です。
7. 研究会レベルだと金銭面であまり苦労せず結構簡単に発表までできる
最終的にどれぐらいお金がかかるか?という話しですが、まずはとっかかりとして査読のない研究会に論文を提出してそれを20分のスライドにまとめて発表して、論文も読んでもらうというやり方であれば、ほとんどお金がかからなかった気がします。
もちろん、旅費はいりますが、情報処理学会のIOT研究会を例に上げると、
非会員でも2500円ぐらいで、情報処理学会の会員だったりさらにはIOT研究会の会員だったら無料で発表して、有識者に論文の内容のフィードバックを得られたりするので非常にコストパフォーマンスが高いと思います。
まぁ、この辺り、あんまり書きすぎると情報処理学会や研究会の勧誘みたいになっちゃうのでこのぐらいにしておきますが、個人的には学生でも問題無いぐらい、それ程高くない気がしております。
ただ、情報処理学会の論文を沢山読みたい人は、正会員だと1万円+論文誌読み放題5千円ぐらいが年間にかかるので、多少割高だと思います。ですが、情報処理学会の論文読み放題なので宝の山状態で、読み物に困る事はないといったレベルです。
弊社okkunの記事がそれについては参考になるでしょう。
8. あわよくばその実績を元に修士号や博士号を狙える
そんな感じで論文を書いていくと、研究会の予稿レベルの論文から、査読付き論文、国際会議論文、ジャーナルとステップアップしていくことで論文の実績となり、結果的にどこかで修士号や博士号を取ることができるかもしれません。また、研究職にいってみたいと思った時の選択肢にもなるでしょう。
とにかく、自分がいるウェブの業界でもこれだけ面白いOSSやブログエントリを書ける人は、普通に論文もかけるだろうし、思考も高度化してきていてスキルも高いので、さくっと論文を書いて学術研究系からのフィードバックを得る事でさらにすごくなりそうだなぁと思っています。
さらに、本当にまれにみる良いものが出来たのであれば、海外のトップカンファレンスに出すとかできると、とんでもない達成感と承認が得られる事は間違いなしですし、その技術はきっと世界中に広まっていくでしょう。
論文としてきちんとまとめているだけで、そういう可能性もあるのです。
まとめ
ということで、これまで思う所をざ〜っと書いてみましたが、これの意図としては以下の記事で言及したように、
[松本] ウェブの技術ってめちゃくちゃスピード感があって、どんどん新しいものが生まれて、あっという間に過去の技術に取って代わっていくものだと思っています。一方で研究者には、研究を進めるにあたって新規性というものが必ず求められていて、これまでにない新しいものを作った上で、その有効性を示すという大事な使命があります。インターネットやウェブを専門にしていても、エンジニアと研究者はやっていることが随分違うような印象があると思うのですが、両者の方向性はどんどんリンクしていっていると感じています。これはエンジニアと研究者と、両方の立場を経て感じたことですし、もっと両者の関係が密になるような橋渡し役をしていきたいと考えています。
[あんちぽ] エンジニアである僕らから見ると、大学がやってるような最新の研究って普段の生活や仕事とは縁がないように思えるんですが、研究者は研究者で新規性や有効性などを強く求められる厳しい世界だったりして、実は新しい技術を追求している我々エンジニアともリンクしてるところがあるということですよね。
[松本] これまでは新規性っていうのがすごく重要だったと思うんですけど、新規性よりも有効性が高い論文が評価される場面も出てきていると思います。実際に僕が参加してた研究会では運用技術が研究テーマになっていたので、きちんと実装できているのか、その実装がちゃんと運用できる仕組みになっているのかという部分が評価につながるようになっていました。そのこともあって、今後ますます研究者はエンジニアよりのスキルを身につけていく必要があると思いますし、逆にエンジニアもどんどん新しいことに挑戦する必要が在る時代になっていると感じます。
[あんちぽ] そういう意味でも、技術をオープンにしようという方向性を持っているペパボは、松本さんのような気持ちを持って働きたいなっていう人にとってはかなりいい環境なのかなと思います。
[松本] そうですね。インターネットの研究をしている人にはがんがん来てほしいです。これからは、エンジニアが研究者の集まる研究会で最新の研究やトレンドを知ったり、逆に研究者が現場的なノウハウや実際の運用について知ったり、お互いに協力しながらいいところを学んでいくことが必要になると思います。
少なくともウェブの技術の関しては上記のように考えているからです。そうなった時に、技術者としてやってきた人と研究者としてやってきた人が協力して新しい技術を考えると、より一層面白い技術やOSS、さらには、ウェブサービスが生まれると思っており、そのためには論文は意外と良いツールになるのでは?と思っています。
ということで、技術者でもなんとなく気分がのった時に論文を書いてみては如何でしょうか。
それによって世界が広がるかもしれません。