人間とウェブの未来

「ウェブの歴史は人類の歴史の繰り返し」という観点から色々勉強しています。

エンジニアや研究者からマネージャーや経営者になる時の不安について

自分は元々とにかく技術志向のエンジニアであり研究者であった。とにかくコードを書いたり論文を書いたりすることが生き甲斐であった。

そんな自分が数年前に色々考えた結果、マネージャーや経営者の道を志すようになったのだが、その際によく聞かれることがある。「技術を中心にやれなくなる不安や葛藤はなかったんですか?」と。

その答えとしては「その不安や葛藤はない」である。なぜかというと、マネージャーや経営者に強烈な専門性を感じているからだ。勉強すればするほど、あれ、これはエンジニアや研究者の時にやっていた学び方とほとんど変わらないのではないか、と思えているからである。

おそらく僕自身も、かつてはマネージャーや経営者に専門性を見出せておらず、エンジニアからそうなることは考えてもいなかった。むしろ、技術者としての諦めのような風に捉えていたかもしれない。しかし、自分がそこに身を置くにつれて、全くもって雰囲気で適当にやれるものではなく、考えのないたった一言でチームの生産性や成果が低下することもある。これもまたコードに似ている。

さらに、書籍や論文を読んで設計して試したりしながら、組織や会社を良くしていくプロセスは、限りなく自分が取り組んできたエンジニアリングや研究と似ているのだ。例えば、IBMやマイクロソフトがハーバードビジネスレビューなどで公開している最新の論文や記事を読めば、仮説検証に基づいて、いかに技術的かつ定量的に評価しているかがわかる。その中で、マネージャーや経営者も、自分にとってはエンジニアや研究者と変わらず、専門性の高い技術職のように認識できたのである。

あとは、じゃあマネージャーや経営者としてやっていく時に不安はないかという話だが、それはもちろん自分の力不足で何者にもなれず、成果も残せないかもしれないという不安は多少ある。しかし、エンジニアや研究者であった時から一貫しているのは、「学び続けていればそれで良い」と思っていることだ。そして、それが自分の拠り所でもあるのだ。努力をしているという感覚でもなく、キャリアの方向性を変えても学び続けていること、そして、とにかく継続して楽しむこと、それさえやっていれば成功しても失敗しても楽しい人生だったと思える気がしている。そこに何か結果が後からついてきたらお得だね、ぐらいであって、そこに努力の結果としての見返りは求めていない。

というわけで、最近よく質問されることについて自分なりにまとめてみた。ひょっとすると、エンジニアの人達もマネージャーや経営者を選択するタイミングが来た時に、何か不安を持つかもしれない。でも僕が思うのは、マネージャーも経営者ももはやエンジニアや研究者のように専門職であり、同じような感覚で学び続けたり、実践し続けたりできるかもしれない。領域が変わるだけで、案外楽しいと思えるかもしれない。

もしそのような考えで前向きにマネージャーや経営者としての道を選択することになったら、是非一緒にお話ししたり楽しくマネージメントや経営のことをお喋りしましょう。これもまた、コードや技術の話をワイワイするようなイメージです。どうやって学んでいるかなど、そういうコミュニティもこの業界でできていくと楽しいですね。