人間とウェブの未来

「ウェブの歴史は人類の歴史の繰り返し」という観点から色々勉強しています。

7年目の革靴

僕は靴や革全般が好きだ。つまり、革靴がそのなかでも1番好きで、もうかれこれ10年以上その魅力にはまっている。

大学時代に革靴の緻密な作り込みと履き心地の良さに魅了されて以来、イギリスの既成革靴を中心に色々履いてきた。既製靴は宝探し的な楽しさもあり、その中でいかに自分にあった靴を探したり、万人に良いとされてる木型がどういうものなのかにも興味があった。リーガルにはじまり、グレンソンやクロケットジョーンズ、時にはイタリアのサントーニにも手を出したりして、しばらく履きつつもなにか履き心地に納得ができずに手放して新しい靴に再挑戦したりしてきた。その結果、革靴好きが行き過ぎて、革靴を買うためにわざわざイギリスのジャーミーストリートやノーザンプトンまで飛行機でむかい、革靴の工場まで行って片言の英語でコミュニケーションを取りながら靴を購入したりもした。
 
これはジャーミーストリートのエドワード・グリーンやフォスター&サンの路面店。日本人の店員がいてすごく丁寧に接客頂いた。

f:id:matsumoto_r:20120916172239j:plain

f:id:matsumoto_r:20120916172119j:plain

 

ノーザンプトンのジョンロブの工場。フィリップ2を安く手に入れることが出来て「あなたはほんとに運の良い男!」と言われたのを思い出す。

f:id:matsumoto_r:20120915185829j:plain

 
しかし、ここ数年はあまり革靴を買っていない。というのも、ついに自分の革靴のローテーションにおいて納得できる布陣が完成し、それらを履き回しているだけで幸せだし楽しいからだ。レギュラーメンバーが確定するまでに何度も淘汰を繰り返した。今残った既製靴のレギュラーメンバーのメーカーは以下となっている。
 
- トリッカーズ
- ガジアーノ・ガーリング
- エドワード・グリーン
- ジョンロブ
 
上記のメーカーの革靴を木型の違いなどで複数保持し履いている。
 
こうなってしまったのも、やはり革靴は履き心地が第一なのだ。
 
見た目の美しい靴は他にも沢山あったが、革靴は飾っておくのではなく履いてこそ革靴でありその魅力が最大限活かされる。決して飾っておくものではない。昔は雨の日は履かないなど、異様なほどに天気予報を気にかけたり、その他気を使いながら履いていたがやはりそうではない。別に雨でも履けばよい。ただし、履いた後にはちゃんとシューツリーに入れて日陰干しやしばらくはローテーションから外すなどの手入れをしてやればよい。最低限、シューツリーを入れることと乾かすことだけでも充分だ。革靴は履くからこそその魅力に虜になるのだ。
 
そうなった時、1番問題になるのはいかに自分の足にあっていて履き心地が良いか。本当に履き心地の良さを目指すのであれば、購入時はかなりのタイトフィットで数十分歩くと靴擦れしてしまうぐらいのサイズ感が良い。それを選択できるよつな足の感覚を持ってきちんと理解するまでには、多くの革靴購入の選択を失敗してきた。僕の場合は、靴擦れしない程度に最初数分から数十分歩くことを繰り返して、ソールのかえりやコルクの沈み込みを育てていく。購入時の自分の足にあったタイトフィットの感覚は何度も数をこなして自分で感覚を得るしかない。それが理解できた頃には自分のローテーションのレギュラーが決定し、革靴を履くことの楽しさや気持ち良さ、そこから自分が育てた靴の美しさにもどっぷり浸かってしまうだろう。
 
話が長くなったが、今年7年目に入ったエドワードグリーンの二足を修理から受け取ってきた。今回はもう何度になるかもわからないつま先とヒールの修理である。一足で数ヶ月に一回は発生する修理であり、修理費も数千円するので決して安くはない。革靴で良いものをかえば、コスト的には長い目で見ると得する、みたいに昔は思った事もあったが全くそんなことはない。メンテにも修理にもかなりコストがかかるので、その覚悟が必要な趣味である。しかし、それを納得できる程の価値が、良い革靴からは得られるのでやめられない。引き取ってきたそんな7年目のエドワードグリーンのドーバーとチェルシーを写真で紹介しよう。
 
まずはDoverの606から。
 
f:id:matsumoto_r:20160429232038j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232104j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232117j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232136j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232150j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232202j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232220j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232239j:image
 
続いてチェルシーの202。
 
f:id:matsumoto_r:20160429232328j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232340j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232359j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232411j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232420j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232434j:image
f:id:matsumoto_r:20160429232520j:image
 
どうだろうか。これらの革靴は雨の日も風の日も出張の日も普通に履き込んだし、何度も手入れと修理を繰り返してきた靴であるが、それによって靴は足に完全に馴染み、革は汚れ、ブラッシングや磨きを繰り返す事で革になんとも言えない光沢とヌメリが出ている。つま先とヒールはよくぶつけるので、ちゃんと鏡面磨きにしておく事で美しさと耐久性を向上させている。他の箇所は革を劣化させないようにデリケートクリームや乳化性クリームとブラッシングで仕上げている。それだけでも、メンテを繰り返す事によって強い光沢が得られる。
 
そこから得られる革靴の美しさもやはり自分にとっては最高なのだ。もちろん履き心地は言うまでもない、これまた最高に気持ち良いのである。
 
今日は久々に実家に帰ってきているので、僕の完全な趣味である革靴について振り返ってみた。革靴は履くものである。履くことによって、その魅力を最大限に感じる事ができる。その過程から生じるこの革靴の美しさを見てしまうと、この魅力からは逃れられないであろう。