人間とウェブの未来

「ウェブの歴史は人類の歴史の繰り返し」という観点から色々勉強しています。

2017年振り返り - 技術そのものを楽しむ先にあるもの

仕事は大変なものだ、仕事は楽しいものだ、楽しいことを仕事にすれば良い、楽しいことばかり考えていては仕事にならない....などなど、仕事に対する言論がこれまで幾度となく繰り返されてきた。楽しいことを仕事にすれば良い、楽しいことをやれば良い、と言ったり言われたりしていたものの、やはり自分の中ではその考え方がうまくまとまっていなかった。しかし、2017年を振り返ると、自分なりに技術そのものを楽しみ、楽しく仕事をすることの意味が理解できた年だった。

僕にとって技術を学ぶこと、それ自体はとても楽しいことであるし、技術を持って仕事をなすサイクルはそれもまた自分にとって大変楽しいことである。では、楽しくない仕事だとやらないのか、と言われるとそんなことはなく、会社を通じて社会に貢献することが対価を生み出しその対価によって生かされているのだから、当然楽しくない仕事も社会に貢献するためにやるのである。ただ、僕はそんな状態では最終的にその仕事に対する最大のパフォーマンスを発揮することはできないことを経験的に知っている。

僕は好奇心に満ちあふれ、創造性のある活動や課題解決そのものが面白いときにこそ最大のパフォーマンスを発揮し、価値を最大化できる。ひょっとすると多くの人がそうなのかもしれない。仕事をすること、社会に貢献すること、プロダクトに貢献すること、それ自体を目的にすべきだと言う言論を多く見るが、自分の場合は恐らくそれでは結果的に貢献や価値の最大化はできないだろうと数年前から思い始めた。しかし、それに対する明確な解答は用意できていなかった。

2017年まで生きてきた今、ようやくその思いに対する理由を認識することができた。認識してしまえばそれは言うまでもなく、外的要因に起因するモチベーションは、簡単に環境や関係性によって崩れてしまうからだ。人のため、社会のため、と思っていても、それだけでは動けない状態に簡単に人は陥る。簡単に妥協し、価値を下げていく。その価値を大きく見せてみたりする。それはなぜか。自分のためだという根源的な動機が欠けているからである。

当然ながら人や社会のために行動する、それ自体はとても大事なことである。ただ、それだけで行動し続けられない人も多くいるのだと思う。僕もそうである。人間関係に悩み、会社との関係性に悩み、社会での自分の立ち位置に悩む。そんなどうしようもないときに自分を救ってくれるのは、自分のためであること。自分のために行動すること。一見それらは利己的で邪悪なものだとみなされるかもしれないが、自分のために生きていくことそれ自体はとても大事なことだと思える。何かをなすべく継続的に取り組むためには、自分のために生きるという動機は最も重要なのだと。

では、仕事の話に戻った時に、楽しいことをただ楽しくやっていれば良いのか?という疑問が残る。僕は2017年になって、明確にそれだけではだめなのだと理解できた。何かを楽しむこと、それは自分のパフォーマンスを最大化する行動である。そして、楽しいと思えることをただ取り組むことが結果的にいかにプロダクトに繋げられるか、そのための方向性を調整し重ね合わせていくスキル、それこそが、エンジニアが仕事を楽しくやることの先に必要なスキルなのだ。そしてそれは、僕というエンジニアにとっても最も重要なスキルであると、2017年に気付かされた。

技術をもって最高のプロダクトを作るために、僕はまず技術そのものを楽しむことを第一に、それが結果的に取り組みのパフォーマンスを最大化させ、その成果の方向性を調整し重ね合わせるスキルによってプロダクトに繋げる、それがいずれ社会に還元されていく、その働き方こそが自分にとっても、結果的には社会にとっても良いのだろうと。後付けは悪ではない。後付けこそが非常に重要なプロセスであることを博士課程で学んだのであった。

社会にとって今自分の取り組みが価値あることだ、社会に貢献しているのだ、などと思う必要などない。逆に役に立っていないなどとも思う必要はない。自分が自分であること、自分が楽しんで何かに取り組んでいること、それだけで価値がある。エンジニア、研究者として、技術そのものをまずはただ楽しむこと、それを積み重ねて価値に重ねていくスキルを磨くこと、それが結果的に最高のプロダクトを生み出し、いずれ社会に還元されていく。そのためには、自分は自分のために生きているという根源的な価値を忘れないこと、そんな単純なことに気付くことができた2017年だった。