人間とウェブの未来

「ウェブの歴史は人類の歴史の繰り返し」という観点から色々勉強しています。

人生で自分が乗るべきたったひとつの電車

自分がこれまでの人生で、自分では予期できないけれど、そのおかげで人生が大きく変わり今の自分がある、そして今もなおその流れに乗り続けられている、そんな「たったひとつの乗るべき電車」とはなんだっただろうか。

今月で自分は35歳になるわけだが、なんとなく自分の人生の折返し地点間近に来ているという感覚がある。 そこで、まだまだ35年という短い人生でありながらも、そこそこの今の自分がある、そのために自分が乗るべきだった「たったひとつの電車」について振り返ってみた。

小学3年生から漠然と中学受験の勉強の波に飲まれ、右も左もわからないまま、気がついたら大学に来ていたように思える。 その過程では、自分が乗るべき電車があったかどうかすら気がついていなかっただろうし、ひょっとすると何度か電車が来ていたかもしれないが、そのことすら気づかずボーッとしていたように思える。 ただ周りが勉強するから、親が勉強を促してくれるからやっていただけだった。

大学後半から自分のやりたいことや人生について考えるようになったものの、そもそも自分の特技や漠然とやってきた勉強や努力では、その先の人生を考えることなんてできていなかった。なんとなくの雰囲気でキャリアの道筋は立てていたものの、それはいつ途切れてもおかしくない、非常にか細い人生計画だったように思う。

2008年、社会人になって、サーバ・ネットワーク管理の仕事がとにかく楽しくて、毎日本当に休むことなく勉強したり仕事をしていたりしていた。 当時は、それが何を意味するかがわかっていなかったが、とにかく楽しくて、自分よりすごい人に少しでも追いつきたくて、社内にいる偉そうな人を黙らせたくて、ただ漠然と頑張って勉強していた。 でもそれが、実は後に来るたったひとつの電車に乗るための荷造りの始まりだったように思う。

2011年、会社をやめて、再度大学院に挑戦し、博士課程で研究することを選択した。これもまた、自分にとっては昔立てたか細い人生計画を追いかけているだけで、決して不意に訪れた電車、というわけではなかった。 そこから、社会人の頃と同じように、日々論文やコードを読み書きし、漠然と頑張り続けた。 今思うと、とにかく何でも拾いつつ、多面的な視野を持ってただ全力を尽くす行動は、そろそろ自分にやってくるかもしれない、自分が乗るべきたったひとつの電車に乗るために、その電車を見過ごさないように、あるいは乗り遅れないように、最後の荷造りをしていたように思える。

そして、2012年4月、まつもとゆきひろさんがmrubyという新しいOSSを公開した。 自分は、その思ってもみなかったタイミングで訪れたmrubyに魅了され、研究とも、これまでの社会人経験とも関係のないそのOSSにのめりこんだ。 その中で、Matzさんやmattnさん、masuidriveさんにとにかくついていこう、やっていることでわからないことはとにかく勉強して自分もわかるようになろう、何よりコードを書こう、という強い思いを持って、自然とその電車に乗り込んでいたのであった。

もし、自分が2012年に至るまでに、当時は意識していなかったけれど、日々荷造りを意識していなければ、電車が来る事自体にも気づけないし、来たとしても乗り込めないし、乗ったとしても荷物が足りなくてすぐに次の駅で降りることになり、またいつ来るかわからない電車をホームで呆然と待ち続けることになっただろうと思う。

日々、物事に真剣に取り組み、技術を習得し、先を見据えて多面的な視野を持って全力を尽くしていると、ある時自分が乗るべきたったひとつの電車が来た時に、その電車に気づくことができる。そして、もし荷造りができていれば運良く乗り込むことができる。 十分に荷物を持って乗り込んだその電車は、必ず自分をもう一歩先の、乗り込まずには見ることのできなかった世界を見せてくれる。

35歳を過ぎて、自分の人生が折り返し地点にきつつあることを感じる。 これからの時間、今乗っている電車に乗り続けることができるだろうか。 また、どこかでもう降りてしまっても良いと思える時がくるだろうか。 今年はその電車から降りようとしていたような気もするし、降りるタイミングも実際にあった。 でも、自分はそこで降りずに、次の駅までもう一度乗り続けてみようと思って、転職を決めた。 だからこそ、その意味を深く理解し、2019年以降に向けて、乗り込んだ電車で次の景色を見るべく、更に全力を尽くしていきたいと思う。