コードレビューにおいて、レビューする側の人間がレビューされる側の人間に対してどう接していくかという議論はいくつもされてきています。
特にコードレビューにおける怒りや強い指摘という話題に関しては、以下の記事に丁寧に言及されており、概ねこの内容に僕も賛成です。
コードレビューという状況においてこういった「する側」「される側」の立場があるため、怒りや強い指摘において一定の説得力を持たす事ができると思うのですが、一方で、これがもし、コードレビューの状況からよりプライベートな人間関係においても波及していくと、それは問題だと言えるでしょう。
スタンフォード監獄実験という非常に興味深い、というか非常に恐ろしい実験があるのですが、その中で以下のような実験結果が得られています。
実験の結果
権力への服従
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。
非個人化
しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。
この結果を見ていると、もっと程度の軽いもの、あるいは、全然関係ないのかもしれませんが、確かに似たような状況を色々な場面で見る事があります(少なくとも僕にはそう見えた)。例えばコードレビューだけでなく、「する側」「される側」の関係性が仕事の立場上できてしまい、かつ、その関係性において怒りや強い言動が生じてしまうような状況で、能力の差が大きい場合等に、指摘や対応が徐々に厳しくなっていったとします。そして、それが立場や関係性がない状況まで波及し、例えばプライベートな状況でも、遊んだり旅行したりしている時のミスや勘違い等に敏感に反応して苛立ち強く指摘してしまうのです。
コードレビュー等における指摘や怒りは、あくまでそういう立場や関係性がある上での発言であるため、それが無い状況で発生してしまうと、単に相手の気持ちを考慮できていない無神経な発言になり、人間関係が壊れていく可能性があります。
僕にも実際に似たような経験があって、大学時代の友人で大学時代は対等だし仲も良いので、ちょっとしたミスやワガママを当時は許せたのですが、社会人になってたまたま会社として先輩・後輩の関係になり、指導する側される側になった状態が数年続くと、自分自身はその友人に対してプライベートでも厳しくなったり、友人はプライベートでも敬語を使ってしまうような場面があったりして、この状況は非常に問題だと猛省した時期がありました。
このように、コードレビューにおいても、怒りや強い指摘を時にすることは大事だと思うのですが、一方で、それが立場や関係性の無い状況でも波及してしまう事は非常に問題だと感じるので、特に指摘をする側の立場の技術者は、コードレビューという状況かつ、自分が責任をもってレビューしないといけない状況だからこそ、そういった態度を取っている事を強く自覚して行動しないといけいないと思うのでした。
そしてこれは、コードレビューのみならず、関係性において強い指摘や指導を必要とする状況では、常に気をつけておくべき事だと思います。