先日、アメリカのミルウォーキーで開催されたIEEE Computer SocietyのフラッグシップカンファレンスとされているCOMPSAC 2019に参加・登壇してきました。
ファーストオーサーの論文をメインシンポジウムのNCIWにショートペーパーとして1本、ラストオーサーとしての共著の論文を同じくNCIWにショートペーパーとして1本、併設ワークショップのNETSAPに1本の計3本の論文を通したことになります。採択率などについては、ゆううきさんの論文に詳細が書かれているのでそちらを見て頂くとして、257本の投稿の中でフルペーパー63本の採択率24.5%、ショートペーパー50本というデータを踏まえると、なかなか頑張ったのではないかと思います。
そこで、ファーストオーサーの発表については、以下の記事で十分に触れられているので、僕は共著としてどのようにやっているかについて紹介しようと思います。
日本語でしっかり論文をレビューする
国際会議に何度か参加していた数年前に、一時期は英語で最初から書いた方が良いのではないかと思っていた時期がありました。一方、日本語でジャーナルを何本か通したり共著レビュー、査読をしていく中で、論文というのは母国語で書くにしてもここまで緻密で困難な、極めて高度な技術が要求される作業なのかと思うようになりました。
母国語であっても、正しく論文を書くというのは、ストーリーや章構成、背景から従来の課題をあぶり出していく書き方、そこから自然と見え始める目的や提案手法、その有効性や貢献は何かについて、複雑に絡み合った前提や条件を提示しながら適切に読者に伝えることは非常に高等な技術であると思うようになりました。そう考えると、僕の場合英語は明らかに母国語と比べた時には不自由であるはずで、そこから母国語以上に正しい論文を、緻密に議論できるわけがありません。
また、英語のスキルが足りないことによって制約を与え物事をシンプルに説明するという考え方もありえますが、実際には非常に複雑な条件や前提をうまくまとめて表現しないといけないことも多く、そこを英語で変にシンプルにしてしまうと、情報が欠落することにもなりかねないのです。英語のスキルが充分に高くないと、物事をシンプルに表現できたと思えたとしても実は議論すべき情報が欠落して、本来主張すべき内容が希薄になってしまうのです。日本語で複雑に思える議論は、まずは日本語でどこまで本質に迫れるかを試した方がよく、そこでなされた整理こそが本当の意味での論旨を表現できるのだと思えました。これは、箇条書きにも言えることで、不用意に箇条書きにしてまとめてしまうと、相互に関連する情報などが欠落し、本来議論すべき内容が見えなくなってしまいます。
そこで、共著においても、まずは国内の研究会やシンポジウムへの投稿を推奨しており、まずは論文を書いてみてそれをしっかり共著としてレビューし、母国語での議論を反映していきます。また、少し実績が加わればそれが小さく思えてもできるだけ切り出して論文に加えてレビューし、また研究会などに投稿して発表するようにしました。その際にも、ジャーナルほどとまではいきませんが、上述した正しい論文になるように母国語でレビューをしました。特に、全体のストーリーや概要を重点的に見るようにしています。それが、複雑になりがちな研究の議論を母国語で正しく筋を通しながら整理し、研究の貢献たりうる本質に迫れる一番の近道だと考えているからです。また、そのストーリーと概要が整理されれば、そこから付随して詳細に踏み込みつつ、貢献の正しさと広がりを順次あぶりだしていけるからです。
そうすると、自ずと日本語ではありますが、前述したような複雑な内容の研究がよい論文に育っていきます。論文を育てることは自身の研究の正しさと広がりを適切に言語化する作業であり、結果的に研究会を通じて自分の研究そのものを学会と一緒に育てていくことができます。
英語化する際は必ず校正をかける
上述した通り、母国語でも執筆困難な論文である以上、母国語でまずは執筆し、母国語で議論可能な研究会を介して論文と研究を育てるサイクルを回すという話をしました。そのようにして品質が上がってきた論文はやはり国際会議でも発表し、グローバルに人類の叡智に触れ、正しさと広がりを更に高いレベルで評価すべきです。そこで、研究会を通じて育ててきた論文をさらに加筆した上で、英語化していきます。
英語化については、昨今オンライン辞書や翻訳ツールなどが随分と充実してきたので、まずは自分で全ての日本語を英語化していきましょう。英語化した後に改めてその英語を何度も読み直して、明らかに変だと思えたり、構文解析できないと思えた時は、他人が読んでもほとんどの場合わかりません。また、日本語は接続詞を多用して文を繋げていくのに対し、英語は論理的に繋がる文を続けて置いていけば良いこと、また、日本語でこなれて書くと主語が不明、あるいは、複数の主語が存在するような長い文章になります。しかし、それらは英語にする場合、主語を明確にして、文章を分けて短い文章を繋げていけば良いだけなので、そこを意識して英語化します。
そこまできたら、次はGrammarlyを使って、自動的な処理でも気づけるような文法や単語、文法、文章構造を修正していきます。Grammarlyのプレミアムを使えば、アカデミックな論文を書く際に使われるような単語やformalな言い回し、感情の表現の強弱、読み手を説得させるような書き方など、かなりの部分を自動で修正、提案してくれます。そこでの提案などを勉強しながら、更に修正していきましょう。凡ミスなどはここで極力修正します。
ここまできたら、あとはしっかりとネイティブの専門家に英文校正をかけましょう。僕の場合はFastekさんに校正をお願いしています。実際に僕の分野で、昨年のCOMPSACでは英語についてフルボッコされたのですが、Fastekさんに校正をお願いして出した今回の論文は、英語についての指摘はほぼありませんでした。8ページの論文で大体3万から4万であることを考えるととてもコストメリットが高いと思います。Grammarlyで凡ミスをできる限り修正しておくことで、校正での指摘をより自分が気付けないようなものにすることができて、差分を読むだけでも非常に勉強になります。
これらの校正についても前述した通り、母国語であっても正しい文章で論文を書くというのは非常に困難な作業です。英語が間違いだらけで意味不明だから国際会議で採録されないというのは、非常にクリティカルな機会損失だと考えているので、この辺りは必ず校正をかけるようにしましょう。
ちなみにジャーナルでは、校正で指摘されなかったような更に厳密な不定冠詞の指摘や係り受けの指摘などを受けます。これは、行間を読ませないように、係り受けや指示語を厳格に行い、文意をより正確に表現できるようにするためだと思えます。もはやここまで行くと最初から母国語以外で完全に論文を書くことは不可能に思えます。しかし、このプロセスを踏むと、自分ができることと自分ができなかったことがあぶり出されるため、振り返りを意義あるものにし、自分が今アプローチすべき不得意領域を明確にできます。だからこそ、英語の論文を育てていくためのサイクルをきちんと設計し、時間をかけて自分達のできる最高の取り組み方を考えるべきなのです。
英語の発表の準備
これは、同僚のゆううきさんがしっかりと書いてくれていましたが、スライドを書いた後にはまずスクリプトをしっかり用意します。
このスクリプトも、読んでわかるような長文を用意するのではなく、話して自分が理解できるように、できるだけ短い文章で一息で話しきれるようなセンテンスを用意します。話しながらそのセンテンスのどこを強調し、どういう意味なのかを頭の中で理解しながら話せるように練習します。このセンテンスが話しながら頭の中に入ってこない場合は、その時点での自分の英語力から見ると長すぎますので、短くしましょう。
強調する単語については、できるだけ自分の発表内容に近い発表が行われているカンファレンスをUSENIXやLinux関連のカンファレンスなど、youtubeで公開されている発表を英語字幕で見ながら、抑揚のつけ方や強調の仕方、センテンスをどこまで一息で話し切るかなどを研究します。センテンスとして長くても、例えば、for highly-integrated multi tenant architecture like virtualhost for apache httpdとかだと、一気に素早く言えるような練習をします。highが見えたら大体こんな感じだよなみたいな感じで抑揚を覚えると良いです。そうすると、なんとなく自分の強調したい単語やセンテンスが抑揚を持って言えてるような気になってきます。
抑揚が日本語からすると少し派手に思えても、英語の場合は派手すぎると思えても大体足りないぐらいなのでその抑揚に慣れると良いです。これをやらないと、日本語で言う完全なる棒読みになってしまって、ほとんど聞こえなくて良い単語などもきちんと発音しすぎてしまって、聴衆には理解が困難な発表になってしまいます。また、自分が理解できない長さだと、強調すべき単語もわからず、完全な棒読みに陥ってしまいます。このような読み方は、母国語であっても聞き取れないことがほとんどです。例えば以下の文章を棒読みで読んでみると良いでしょう。
「ぐりんぐりんおかのうえにはららことりがうたい」
英語の質疑の準備
最後に、国際会議で発表する以上、やはり最も重要な挑戦は発表後の質疑をできるだけ充実させることです。そのために英語力を上げると言うのはもちろんなのですが、英語力を上げるのはそんな簡単ではなく長期的な学習になるかと思います。だからと言って質疑はメールやSNSでとしてしまうと、英語力の成長やグローバルな視点での自分の研究に対する質疑や議論という、研究活動が最も成長する機会を失ってしまいます。これは、研究としても英語としても多大な機会損失になります。
そこで、英語が母国語ではない研究者である、という状況を、別のアプローチでできるだけ活かすようにすると良いです。まずは想定質問をできるだけ用意することです。これは、質疑に対して答えられるパターンやセンテンスを用意しておくことで、関連する質問にもそのセンテンスや文章構造、単語をうまく組み合わせて議論できる可能性が高まります。また同時に、自分の研究の疑問がとこにあって、それはどのように解釈できるのか、というような研究の本質に迫る作業にもなります。
日本語だとここを曖昧なまま、発表と質疑の中で持って回った言い回しでなんとなく乗り切ってしまうことがありますが、事前に英語で議論できるレベルにまで論旨を明確化しておくと、研究自体の理解も深まります。ただここで注意すべきは、自分の英語のレベルに引きずられて物事を単純化しすぎないことです。そこは、しっかり自分が書いてきた英語の論文を参考にしましょう。採録されたのであれば、そこに全てがあるはずです。
あとは、質疑のパターンの構造や、聞き取れなかった時にコミュニケーションの中で内容を理解するためのテンプレを用意しておくことも重要です。ネイティブの質問者が流暢に早口で質問すると、英語発表をスクリプトを見ずに話せるような研究者であっても聞き取れなくて答えられないことは多々あります。だからこそ、聞こえなかった単語はどこかとか、意図はこういうことかとか、そういうコミュニケーションのためのパターンをいくつか用意しておきましょう。運良くスライドの発表者ノートには沢山の情報を書いておくことができます。
まとめ
このように、自分のファーストオーサーの論文はもちろん、ラストオーサーとして国際会議やジャーナル執筆までをサポートする際にはこのようなことを考えながら、状況に応じてこれらの内容を伝えています。このように取り組んでいくと、国際会議の本番では、日本語の発表の時よりも比較にならないような準備をしているので、緊張があまりなく、むしろ楽しみたいという気持ちで発表に望めることもあります。
緊張は、何か失敗するんじゃないか、自分ができないことを要求されるんじゃないか、でも自分はその準備ができていないような時に生じたりします。しかし、このようにできる限り準備する、すなわち自分のベストを尽くすことにアプローチすれば、本番は自ずと武者震いのような気持ちになるのではないかと思います。ベストを尽くす以上のことはできないのですから。
とにかく国際会議や質疑、ジャーナルの査読結果などを有意義なものにし、更にはそのような機会を楽しみながら仮に落ちたとしても次の挑戦へと後押しすることが、ラストオーサーとしての共著の役割であると考えています。そのためにも具体的にこのような機会でベストを尽くすことがどういうことか、それが次のフェーズへと連続的に成長させるためにはどのように繋がっていくかを明確に伝えてあげれば良いのではないかと思います。