今から6年程前に「The Hacker Ethic」という本を読みました。それを今振り返って思う事を書き綴ってみようと思います。
最初にことわっておきますが、このエントリで言及する問題提起は最後まで読んでも解決しない上に、理想はこうだけど現実は?とか、あっちいったりこっちいったりの思考をそのまま書いていたりするので、問題提起のみについて言及した単なる思考実験の文章(ポエム)だと思って読んで頂けると良いのではないかと思います。その上で、自分ならこう考えるなぁなどと思考実験を楽しんで頂くのが良いと思います。
ハッカーの労働倫理
この「The Hacker Ethic」という本では、ハッカー達の労働倫理は金銭自体を価値のあるものだとせずに、自分の活動自体が社会に及ぼす影響、また、自分達が持つ情熱を共有し、共有したもの同士から認められたいと思う、そこに価値があるとする事だと述べています。今やこの考え方は、OSSコミュニティにおいてそれなりに共有されており、実際にそういうものだ意識しながら活動している人もいるでしょうし、多くのOSSに関わる技術者にも認識されてきていると言ってもよいでしょう。
一方で、労働倫理そのものに対して、以前からアルフィ・コーンは以下のように興味深い指摘をしています。
競争や報酬による動機付けというのは、労働を達成する際に、その人間の関心を競争や報酬のほうに向けてしまい、それに気をとられるあまり、その労働自体の質が低くなる傾向がある。また、質の高い労働というものは、労働そのものの面白さに動機付けられたものだ。
つまり、労働において、労働そのものの質を向上させるには、動機のために競争や報酬をむやみに提示してはならないという考え方で、これは、ハッカーの労働倫理においても核となる考え方だといえるでしょう。この指摘は、ハッカーの労働倫理や自らの技術力を高めたいと思っている技術者にとっては一理あるのではないかと思っています。小さな子どもにとって、あるいは、より一般的な状況ではどうなのか、という議論はここでは保留します。
技術者教育という労働と質
では、そこからもう一歩進んで、労働という言葉をより広く解釈していき、「技術者が教育を受ける」という労働に照らし合わせて考えてみましょう。技術者のみならず、人の育成や教育においても、競争や報酬によって技術者に動機を与えて、活動の改善を促す場面が沢山あります。そこでこのアルフィ・コーンの主張を考慮した場合、方向性に問題があるように見えます。
アルフィ・コーンの主張に基づけば、教育側は技術者の育成や教育の中で行う作業そのものにこそ面白さを提示しなければならず、教育を受ける側はそれを純粋に楽しみつつ自身の成長のための作業に取り掛からないといけません。
この状況において最も重要なのは、やはり両者がそのように考えている事を互いに共有し、その作業を楽しむ事でしょう。一方で、「この作業が楽しい」と思えるかどうかは人によってそれぞれで、これを適切に満たす事は非常に難しいといえます。かといって、多くの技術者が面白いと思える作業をどうにか選択し、それを提供したとしても、そういった面白さは比較的軽いものになりがちで、その面白さで労働の質を高めるのは難しいかもしれません。
結局の所、技術者教育における相互の労働者が同時に労働そのものを面白く感じるような状況を具体的に提供するにはどうしたら良いのか、という答えを提示するのは非常に困難です。
では一体我々は、技術者、さらにはハッカーと呼ばれるに至る技術者を育てるために、教育の質を高めるにはどうすれば良いのでしょうか。いかなる状況でも労働や作業そのものに興味や面白さを見いだせる人間であることがハッカーたる技術者になるための条件なのでしょうか。あるいは、それらは生まれ持った才能に依存し、そもそもハッカーを育成すること自体不可能なのでしょうか。ひょっとすると、高度な技術者を育成するためには、教育の質など必要ないのかもしれません。
技術者教育の理想と現実
ここで一旦「The Hacker Ethic」の言及に戻って、他にも以下のようにも述べています。
意味は仕事にも余暇にもない。活動そのものの性質から出てくる。情熱から出てくる。創造性から。
ハッカーにとっては、情熱及び創造性それ自体が価値なのだという主張です。そしてこの考え方はハッカーにとってのみだけでなく、人々が偉業を達成するときには必ず必要となる精神なのだと思います。そして、自分の経験上も、労働そのものを楽しみ、質を高め、そうした結果から生じる情熱や創造性に意味を見出す、そこに技術者教育においても重要なプロセスがあるように思えてならないのです。
そういう理想があると思いつつも、技術者教育の労働で述べた事の繰り返しになりますが、現実では、実際に技術者教育で実践してみようと思った時にどのように取り組めばいいのかはやはり難しく、困難がつきまといます。その末に、「報酬や競争のバランスを取りとにかくやろう」が実践しやすく、かつ、ある程度の効果が望めるという点で、一つの答えにならざるを得ないです。つまり、アルフィ・コーンの考え方とは反してしまいます。これが理想と現実なのでしょうか。そう言ってしまえばここで思考が停止してしまいます。
ですがやはり、「労働そのものを楽しみ、質を高め、そうした結果から生じる情熱や創造性に意味を見出す」、これには経験上共感できるので、理想を目指すべくその事を技術者に教育の中でどうにか伝える必要があるとは思っています。また、ハッカーたる技術者になれるように教育していくには教育上何に注力すべきなのか、具体的に「技術者の教育」という労働の質を効果的に高めるには何が必要か、といった内容をこれからはもう少し本気で考え、皆で共有していく必要があるのでは、と思ったので、そのことをそのままブログに書いてみたのでした。
というわけでポエムタグがついています。